第二章 入魂士 木下ミツル

一
源次はパソコンのモニターに向かってキーボードをたたいていた。探すはドールマニアのサイトである。徹の話を聞いて、彼は探究心を燃やしていた。
「近頃面白いことがなかったからなぁ・・・。それにしても、出てこないな。」
ここ一週間近く、彼はぶつぶつ独り言を言いながら、様々なサイトを見て回っていたが、目的の情報は見つけられずにいた。ドール系から心理学系、ロボットやアンドロイドなど見て回ってきたが、流石の彼も諦めを感じていた。
「ネットじゃ無理か・・・。相当知名度が低いんだな。」
ひとりごち、彼は部屋の外へ出た。ちょうど徹が仕事を終え、玄関へ向かおうとしているところだった。
「やあ、徹君。」
「ああ、源次さん。こんにちは。」
「いやあ、なかなか見つからないよ。魂君は。」
「そうですか。この一週間、亜季さんも見かけないし、難しいみたいですね。」
「ガセだったのかなぁ?」
「そうだったらすみません。」
「いいんだよ、徹君は気にしなくて。ところで、徹君はこれからまっすぐ帰るの?」
「はい。」
「一緒に歌舞伎町、行かない?」

二
徹と源次は、夕方の歌舞伎町を歩き回っていた。源次は、どこに隠していたのか、意外と普通のカジュアルスタイルで出てきた。Tシャツとグレーのパーカーにインディゴのジーンズを合わせている。きっと、亜季に買わされたものに違いない。ボサボサの髪さえ整えれば、相当若く見えるはずだが、当人はまったく気にしていないようだ。季節は秋に差し掛かっており、日が落ちるのも早くなっている。周りは既に薄暗く、客引きの軽率な男たちが道で盛んに声をかけてくる。
「うっとうしいもんだね、こういうところは。」
「私も普段来ないので、緊張してます。」
「また明日にしよっか?魂氏探し。」
「・・・そうですね。」
徹としても、週末の歌舞伎町など、初めから歩き回りたくなかったが、源次の意図を汲み取り、付き合っていただけであった。が、週末の繁華街は二人の予想をはるかに超えた混雑具合で、二人は早々に探偵を諦めてしまった。明朝の再開を約束し、二人は別れた。

三
明け方の繁華街は異臭が立ち込めている。酒瓶、生ごみ、くたびれたホステス。それらが表現しがたい異臭を放っている。徹と源次は、駅の改札から、酔っ払いやホステスらとすれ違いながら、宴の後の繁華街へと向かった。
「くさいね。」
「ちょ、源次さん。そんなはっきり言わないでくださいよ。誰かに聞かれたらどうするんですか?」
「だってホントにくさいんだもん。あーあ、今日も帰ろっか?」
「もう・・・しょうがないなあ。だったらいつ来るんですか?」
「そーだよね。我慢するかなあ。」
源次は、まさに子供がそのまま大きくなったような人間だった。永遠の子供などというと聞こえはいいが、これではただの常識のない大人である。徹の仲間には常識外れの趣味を持った仲間は多いが、最低限の礼儀くらいは弁えているものだ。
「とりあえず、隅から隅まで絨毯爆撃ね。僕は参謀大佐。徹君は軍曹ね。」
「は、はあ。」
「返事は”はい!”。」
「はい!」
徹は不安を覚えながらも、絨毯爆撃に向かうべく、横断歩道を渡っていった。

四
源次と徹が歌舞伎町の繁華街の入り口に戻ってきたのは、既に陽が落ちかけた午後であった。彼らは一食もせず、ひたすら歌舞伎町の小道を歩き回り、それらしい看板を探して回ってきた。何でも、源次いわく、
「必ず目印がある。」
のだそうだ。
「見つかりませんでしたね、目印」
「うん。探し方が悪かったのかな?」
徹は飲まず食わずで歩き回ったせいで、ヘトヘトになってしまっていたが、源次のほうはピンピンしていた。あの引きこもりのどこにこんな体力があるのか、甚だ疑問であったが、問い詰める気力もなかった。
「徹君はだらしないなあ。鍛え方が足りないんだよ。」
「すみません・・・。」
「休憩する?あ、でも高いんだっけ?二時間四千円?」
「それは男女が二人だけで休憩するところの話です。それよりラーメンでも食べませんか?」
「美味しい?」
「えっと、僕は好きなお店なんですが。」
「徹君が好きでも、僕が好きとは限らないじゃない。美味しいかどうか知りたいな。」
「食べてみましょうよ。食べたら分かりますよ。」
「そうだね。昔の偉い人も言ってたもんね。迷わず食えよ!食えば分かるさ!」
『突っ込む気にもならない・・・』
源次は始終こんな調子で徹をいらいらさせており、徹のやる気は既にゼロになっていた。ラーメンでも奢ってもらって帰ることにしようと考えていた。

五
二人が入った店は、そこそこ繁盛してるようだった。繁華街が華やぐより早い時間であったが、空席は目立たない。二人は出勤前のホステスの横に陣取り、ラーメンを待った。
「いやあ、残念だったね。」
「すみません、源次さん。やっぱりガセだったのかもしれません。」
「徹君は気にすることないよ。ま、ラーメンでも食べて元気出して。」
二人はラーメンをぼんやりと待った。源次はPDAでインターネットサイトを見ているようだ。この人は情報がないと生きていけないのだろうか?
徹は聞くともなしに、隣のホステスの話に聞き入っていた。どうも、最近堕胎手術をしたらしい。闇だが、近場に格安で手術してくれるところがあるということを、同僚のホステスに熱心に説明していた。
「でさ、その闇医者が、いつもクーラーボックス持ち歩いてるの。」
「ヤダ、キモくない?もしかしてなんかの実験に使ってるかもよ。」
「別にぃ。生まれる前だし、知らなぁい。」
「そういえば、前、道に人形が落ちてたこともあったよね。勝手に動き出したとか言って。そういうのに使われてたりして。」
「なにそれー。キモーい。」
「スゴイの。勝手に動く人形を作ってるんだって。そいつもクーラーボックス持ち歩いてたんだってよ。絶対そいつだよ。あんたの赤ちゃん、絶対、その人形の中に入れられたんだって。ヤバくない?」
「変なこと言わないでよー。やだー。」

『勝手に動く人形・・・?』

徹は、ラーメンもそこそこに、二人の話に聞き入っていた。本当なら、二人に問い詰めたいところだが、そこまでの元気と勇気は徹にはなかった。
徹は、二人が店を出るのを待ってから、源次にそのことを伝えてみた。
「すごいじゃない、徹君!それで、場所聞いたの?」
「そこまでは・・・。」
「なーんだ。でも、これで目印が分かったね。」
「え?」
「クーラーボックスだよ。さあ、休憩終わったら、今度はクーラーボックスを探しに行こうね!」
「まだ探すんですか?」
徹は、正直なところ、慣れない街を歩くことで、疲れきっていた。引きこもりのくせに、源次の体力は一体、どこから来るのだろうか?疑問に思いながらも、徹は源次の後に続いて店を出た。

六
それから二人は混雑し始めた街を再度、縦横無尽に歩き回った。同じ街でも昼と夜とではまったく表情が違う。ネオンと闇のコントラストの中を二人はクーラーボックスだけを頼りに、魂氏を探して回った。
「見つからないものだね。」
「目印がクーラーボックスだけじゃ・・・。」
徹は、正直帰りたくなっていた。源次の体力には驚かされるばかりで、ラーメン一杯でどんどん街を進んでいく。ついに音を上げてしまった。
「源次さん、ちょっと休ませてください。もう歩けないですよ。」
「しょうがないなあ、徹君は。じゃあ、その辺で座って休もうか。」
二人は歩道のガードレールに腰掛け、往来の人たちを眺めた。街は一時の快楽を求める者たちで埋め尽くされており、この中から目的の魂氏を探すのは不可能のことのように思えた。しかも、ラーメン屋のホステスの話を信じると、彼は闇医者であるようだ。表の通りには出てこないのではないだろうか?
徹はそんなことを漠然と考えていたが、源次のほうは目の前を通るものたちを逐一観察していた。おそらく、この中にクーラーボックスを持っているものがいないか、見ているのだろう。しかし、これだけの人では、ウォーリーを探すより骨が折れる。徹は源次に背を向けて、自動販売機に向かった。
「あ、僕コーラね。」
「はいはい。」
もはや抵抗することにも疲れ、従順に源次の言葉に従っていた徹は、ふと、一人の女性を見つけた。この街、この時間にまったく似合わない、きちんとしたスーツの彼女は、どこかぎこちなく歩いている。目は虚ろで、真っ黒の髪には張りがない。どこか作り物然とした彼女は、コンビニの袋を提げている。その安っぽいポリ袋が彼女の貧相な姿をより物悲しげにしている。どうも、ホステスっぽくはない。この街から浮いている彼女を眺めていると、不意に源次が彼女に近づいていった。
「やあ。君、一人?」
驚いたことに、源次はナンパを始めてしまった。体力が余っているにも程がある。徹は呆れつつ、二人から距離を置いて、源次のナンパを眺めていた。彼女のほうも、とても男遊びしようなどという体ではない。案の定、源次に一瞥もくれず、彼女は去ろうとした。
「徹君、行くよ!」
「は、はい!」
「返事は”はい!”」
「はい!」
源次は突然、徹を呼び、彼女の後をつけ始めた。歩くのは疲れるが、源次に抵抗することはもっと疲れることを、徹は今日一日で体で覚えていた。

七
彼女は、うらぶれた小道の古い雑居ビルの地下に消えた。源次は彼女が消えたビルの前に立ち、何かを確信したようだった。
「きっとここだ。魂君の居場所。」
「え、何で分かるんですか?」
「いいから。ついてきなよ。」
源次の確信的な発言に、徹は彼の後に続いた。正直、見知らぬビルに入るのは気が引ける。しかし、源次はそんなことどこ吹く風と言わんばかりに、厚かましく地下に進んでいく。いまどき珍しく、階段だ。
地下には部屋がひとつだけあった。彼女はここに消えたに違いない。源次は何のためらいもなく、ノックした。
「すみませーん、どなたかいらっしゃいますか?怪しいものではありませーん。」
『ものすごく怪しいってーの。』
扉の奥で人が動く気配がした。こちらを覗いているのだろうか?ややあって、声がした。
「何の用だ?」
「もしかして、こちらで、魂を取り扱っていないかと思って。」
源次はどストレートに自分の用件を話した。徹は源次の後でびくびくしていた。
「・・・入れ。」
「おじゃましまーす。」
「・・・おじゃまします。」
徹は、信じられない思いで一杯だった。源次の傍若無人な振る舞いから部屋の主の応対まで、徹の常識から完全に外れたものだった。だったが、何故かうまく行っている。行っているように見える。もはや思考能力を奪われてしまい、夢でも見ているような心地になってきた。
二人が通された部屋には、パーティションで仕切られたスペースに、ソファが対になって置かれていた。来客を想定したそれは、徹を少しだけ安心させた。部屋にはゴー、と換気のような音が響いていること以外は変わった所のない、普通の事務所のようだった。部屋の主は、三十前後の痩せた男だった。体のラインがはっきり分かるカットソーに、やや色落ちしたタイトなブラックジーンズをエンジニアブーツにインしていた。金属フレームのメガネと、四角のメタルプレートバックルのベルト、プレートのネックレス。それらは全て黒で統一されている。どこかのロック歌手にいそうな雰囲気だ。
「座れ。今コーヒーを出させる。」
「はーい。」
『はい、じゃないのか?』
「おい、マナ。コーヒーを頼む。」
「はい、ご主人様。」
「徹君、聞いた?ご主人様だって。僕もそう呼ばれたいなあ。」
「は、はあ。」
「返事は”はい!”だと何回言えば・・・。」
「はい!」
源次のバイタリティもこういうときは頼りになる。彼がいれば大丈夫だろう。徹の心は、もはや早く帰りたい一心で埋め尽くされていた。

八
先ほど、コンビニから帰ってきた女性がコーヒーを持って現れた。相変わらずどこを見ているのか分からない。
「ありがとう。」
「ありがとう、ございます。」
「下がっていいぞ、マナ。」
「はい、ご主人様。」
「精巧な人形ですね。PL線がほとんど見えない。瞳の透明度も高い。動きも比較的いい。」
「マナだ。助手として働いてもらっている。もっと良い動きをするのもいる。」
「マナ、聞いたことないモデル名だ。」
「モデル名ではない。彼女の名前だ。」
源次は突然、人形の話をし始めた。徹だけが話についていけず、ぽかんとしている。
「源次さん?人形なんてどこに?」
「さっきコーヒー出してくれたじゃない。」
「え?マナさんのことですか?」
「そ。」
「えっ、あの人が、人形、なんですか?」
「気づかなかった?」
驚く徹に、源次は簡単に説明した。目や動きなどもそうだが、一番の特徴は見た目だ。シリコーン製の人形は金型で成形する。しかし、金型には必ず分かれ目が現れるのだ。それをPL線と呼び、彼女には目立たないにしても、それがあった。だから、源次は彼女は人形だと知り、後をつけてきたのだった。徹にはまったく信じられなかった。釈然としない徹を、源次は、飲み込みの悪い生徒を見る先生のような目で見、魂氏との話を続けた。
「それで、依頼はどっちなんだ?売るほうか?買うほうか?」
「それは、魂のこと?」
「当然だ。分かってて来たんだろう?」
「ま、そうなんですけど。僕らは買うほうだよ。でも、今日は見つけることが目的だったから、いきなり商談に入られてもなぁ。」
「なんだ、紹介じゃないのか?」
「失礼かとは思ったんだけど、マナさんの後をつけてきました。」
「そうだったのか。まあ、いい。場所は分かったな?何か入用だったら来い。電話もファックスも、メールもインターネットサイトもないから、直接。」
「そんなに突然来てもいいの?」
「大体ここにいる。特に宣伝もしていない代わりに、誰かを拒否することもない。」
「うん、分かった。こんど、息子と人形を連れてくるよ。」
「ああ。俺は木下だ。木下ミツル。一応、入魂士と名乗っている。」
「僕は稲森源次。こちらの彼は水谷徹。じゃあ、行こうか、徹君?」
「え、はい。」
「じゃあな。」
「お気をつけてお帰りください。」
マナが見送ってくれて、徹と源次は入魂士と自称する男の事務所を後にした。徹はいまだ夢見心地だ。
「見つかってよかったね!亜季ちゃんも喜ぶかなあ。」
「そうですね。」
徹は、一刻も早く帰って横になりたかった。今日のこれは休日出勤扱いになるだろうか?

九
週が明けた月曜日、徹はいつものように稲森家に出勤した。亜季は源次から話を聞いたらしく、いの一番にその話を持ち出した。
「見つかったそうじゃない。お疲れ様。」
「いいえ、源次さんの力です。私はついて行っただけです。」
「でも、大変だったでしょう?」
「まあ、正直かなり疲れました。」
「あの人も変わってないなあ。いいわ。それで、いつ行けるのかしら?」
「木下さんはいつでもいいって言ってましたが・・・。」
「じゃあ、今日行く?」
「え、良いんですか?亜季さん、今日の予定は・・・?」
「キャンセルしちゃうわ。ちょっと待ってて。」
そういうと、亜季はなにやら携帯で話し始めた。源次は姿を見せていない。相変わらず、部屋に引きこもっている。彼の部屋はきっとトレーニングマシーンで埋め尽くされているに違いない。
「うん、オッケー。じゃあ、将に言いに行きましょう。」
「はい。」
亜季は将に、人形に魂を入れることができることを説明した。将は、信じられないという顔をしたが、すぐに同意した。

十
三人と一体の人形が新宿に向かっていた。徹はミレイをゴルフバッグで運び、亜季が将の車椅子を押した。稲森家からは新宿まで一駅である。三人は難なく木下の事務所に到着した。
「早いな。あの元気な親父はどうした?」
「あのおじさんなら部屋で筋トレしてます。今日は代わりに私が息子を連れてきました。稲森源次の家内の亜季です。こちらは息子の将。」
「初めまして。」
「ああ、よろしくな。」
「そして、これが・・・ミレイです。徹さん?」
促されるままに、徹は、ゴルフバッグを開け、ミレイを見せた。三十キロ以上ある人形を持ち歩き、徹は前にも増して息が上がっていた。
「ほう、ミレイか。最高級のドールじゃないか。初めて見る。ちょっといいか?」
「ええ、どうぞ。」
木下は、検品でもするかのような目でミレイを見た。あちこちを触っては、なにやらぶつぶつ言っている。将はちらと嫉妬したが、我慢した。
「いいものだな。これに入魂したいんだな?」
「ええ、お願いできるんですよね?」
「ああ。一週間で仕上がる。」
「お代は?」
「五十万、キャッシュで。納品のときで良い。」
「あら、そんなものなの?良心的ね。」
「商売でやってるわけじゃないからな。その代わりといっては何だが、GPSを付けさせてもらう。何があるか分からんからな。」
「問題ないわ。」
「じゃあ、引き取らせてもらう。カナ。」
「はい。」
至極簡単な商談を終え、木下は女性を呼んだ。カラシ色のカットソーの下に、激しく色落ちしたジーンズをフリンジブーツにインして、太目のベルトと合わせている。マナとは対照的な、カジュアルな女性だ。彼女はゴルフバッグから軽々とミレイを取り出し、事務所の奥に持っていった。
「彼女も助手さんなんですか?」
徹が、この日初めて口を開いた。
「ああ。三人いる助手の三番目だ。」
「力持ちなんですね。」
「あれのサーボは高トルクでな。骨格もそれに合わせて強化してあるモデルだ。動きもマナよりはいいだろう?」
「はあ、はい。」
「徹さん、そろそろおいとましましょう。では、よろしくお願いいたします。」
「よろしくお願いします。」
「任せろ。」

十一
「一週間だけど、我慢できるわね、将」
「う、うん。」
稲森家の食卓で、将はいつもにも増して口数が少なかった。いくら公然のものとはいえ、自分のラブドールについてとやかく言われるのは恥ずかしい。将は、食事を終えたら、徹と部屋に戻った。
「やっぱ、恥ずかしいな。」
「良かったじゃないですか。いつも奔放な亜季さんも積極的のようでしたし。」
「それが恥ずかしいよ・・・。ね、水谷さんはうまく行ってるんですか?」
「私の場合は、失敗してもやり直しが利きますから。」
「ふーん。ね、ミレイが魂を持ったら、やり直しが利かなくなるのかな?怒らせたら家出しちゃったりとか?」
「どうでしょう?」
「すごく怖い子になってたりしたら、どうしよう?」
「大丈夫ですよ、きっと。将さんの気持ちは通じますよ。」
将は、少し興奮しているように見えた。無理もない。入れ込んでいるアイドルが自分の家に来るような気持ちなのだろう。徹としても、惨事も悪くないと思うほどだ。将は、ミレイを預けていた一週間、ずっとこんな調子で過ごした。

十二
木下は、ミレイに施術を施す準備をしていた。施術室にはクーラーボックスや瓶などが所狭しと置かれ、それぞれに三ヶ月・五ヶ月などとラベルされている。木下はまず、ミレイの表面の汚れをきれいに落とした。高級ラブドールはシリコーンゴム製なので、アルコールが使える。それが終わったら、特別に調合したホルモン剤の溶液に二十四時間漬ける。このとき、人形から持ち主の汗などの体液が十分に染み出してくることを確認する。この染み出しが不十分だと、入魂はうまく行かないことを、木下は経験的に知っている。障害者の人形は大体において、この染み出しが非常に多い。深く愛されていた証だ。今回のミレイもまったく問題ないレベルだ。
木下は、カナと、もう一人の助手であるナナとの三人で作業を進めていった。シリコーンゴムは裂けやすいので、動きがぎこちないマナには手伝わせない。
次に、魂の元になる水子を選別する。木下は、闇の産婦人科医でもある。歌舞伎町の堕胎を希望するホステスに、格安で手術している。その代わり、堕ろした水子を引き取って、魂の元としている。甚だ倫理から外れた生業であることから、看板も出さず、ひっそりと開業しているのだ。今回のミレイは、比較的大きめのドールなので、五ヶ月で堕ろしたものを選んだ。乾燥を施された水子は、かつて女の腹にいたとは思えない様だ。ぱさぱさに乾いていて、丁寧に扱わないと崩れてしまう。
ミレイをホルモン剤から取り出し、代わりにそこに乾燥した水子を入れ、真空を引いて、ホルモン剤とドールの持ち主の体液を染み込ませる。その間に、ミレイの背中を切開し、水子とバッテリーとGPSが入るスペースを作る。
ホルモン剤が十分に染み込んだ水子をホルモン剤から取り出し、ミレイの背中に入れ、接着剤で縫合し、ホルモン剤と生のシリコーンゴムを混ぜたものに再度漬け込む。この間、水子の神経系が既存の肉体を脱して成長し、周囲のシリコーンゴムを取り込みながらミレイに根付いていく。
十分に神経系が成長したら、ミレイを取り出し、バッテリーとGPSなどを埋め込む。魂を持っているとはいえ、人形である。電源がなくては動かない。ここまで完成したら、後は自然乾燥にかけ、持ち主が受け取りに来るのを待つ。時間が許すようなら、助手の三人が化粧を施す。
木下は、納得のいく施術ができ、一安心した。後は持ち主にスイッチを入れさせて、魂が起動したら入魂の完了だ。

十三
ちょうど一週間後の月曜日、将、徹と亜季が木下の元を訪れた。施術は完了しており、ミレイは事務室の簡易ベッドに横たわっていた。
「来たか。こっちの準備は終わってるぞ。」
「準備って・・・。入魂は終わったんじゃないの?」
「入魂自体は終わっている。だが、彼女を起動させることができるのは持ち主だけだ。」
「僕ですか?」
「ああ。彼女に向かって、なんでもい。お前の気持ちをぶつけるんだ。手段は問わない。」
「僕の気持ち、ですか?」
「ああ。二人にしてやるから、じっくり考えな。お母さんと介護士の君はちょっと待っててくれ。」
「構わないわよ。」
「大丈夫です。」
「俺も外す。じゃあ、がんばんな。」
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしたらいいんですか?」
「だから、自分で考えろ。因みに今までのやつはキスしたり、手を握ったりするのが多かったな。まあ、中には顔射したり入れちまったり、逆に入れさせるなんてやつもいた。要はお前の彼女に対する一番の気持ちをぶつけたらいいのさ。」
そう言って、木下は徹たちを連れて出ていってしまった。
将はミレイをじっと見てみた。薄手のネグリジェを着たミレイは、前より血色よく見えた。恐らく、自分達が来る前にメンテナンスしてくれたのだろう。綺麗だった。不意に芽生えた感情を、将はそのまま口走っていた。
「愛している、ミレイ。」
初めて会ったときに感じ想い。その時よりずっと強くなった想い。人生で初めて感じた想いを、将は叫んだ。
「愛している愛している愛している愛している愛している!」
「嬉しい。将様。」
昂った将を包み込むように、ミレイがぎこちなく手を差し延べていた。その目は魂の光を宿し、将に向けられ、かすかに濡れていた。
「ミレイ?」
「将様。会いたかった!」
ミレイは、不器用に体を動かして、将に抱き着いた。
「将様、将様、将様ぁ・・・。ずっと、ずっとこうしたかった。将様・・・。」

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