鶴屋さんの危ない放課後 - 1

 ある日の放課後。鶴屋さんはご機嫌な様子で廊下を歩いていた。
「ふんふんふ〜ん」
 調子外れな鼻唄に、周りの生徒が怪訝な――もっと的確な表現をすれば、異様なものを見るような――目を向ける。だが当の鶴屋さんはそんなこと気にもとめない。足取りもスキップしているのかという程の軽やかさ。彼女が不機嫌な顔をしている場面など、学校の級友や友人達は見たことが無いだろうが、普段陽気な彼女にしてもここまでハイなのは珍しい。
 ご機嫌の理由は右手で揺れる紙袋にあった。
「うしし、これを着せたらみくる、どんな反応するかねっ。今から楽しみだよっ」
 SOS団マスコットキャラクターであるみくるは、普段からハルヒや鶴屋さんの手によって着せ替え人形にされている。そのコスプレ衣装は主にハルヒが怪しげな通販サイトから入手しているが、鶴屋さんがこうして衣装を提供することも少なくない。バニーに始まりメイド、ナース、ウェイトレス、巫女、果ては蛙の着ぐるみまで、メジャーどころのコスプレは全て網羅しているみくるであったが、こうして新たな衣装を持ち込む度にいつまでも初々しい恥じらいを見せてくれる。それがハルヒや鶴屋さんの嗜虐心を擽って止まないのだと、本人は気付いているのかいないのか。そんなみくるの慌てぶりを眺めてからかうのが、鶴屋さんの楽しみの一つであった。
 SOS団の部室に訪れる場合はみくると二人の場合が多い彼女だが、日直であったこともあって珍しく一人だった。とはいえ、今日の目的を考えると好都合ではある。紙袋の存在を知られて身構えられては、楽しみが半減するではないか。
 そんな悪巧み――もとい、妄想を繰り広げるうち、SOS団と書き変えられたネームプレートが見えた。書類上は未だ文学部部室となっているその部屋の前でたんっと音を立てて止まると、鶴屋さんはその勢いのまま部室のドアを開け放った。
「こんちゃー! 遊びに来たよっみくるは居るかいっ!?」
 ……………………。
 …………。
 ……。
「ありゃ?」
 期待に反して、室内からの返答は無かった。
 さして広くない部室に鶴屋さんの挨拶が小さく木霊し、やがてそれも消えて静寂が耳を突く――普段騒がし過ぎる程賑やかな部室は、しんと静まり返っているだけで不気味だった。
 室内を見回しても動く影は無い。いつもなら机で持参のボードゲームを広げる小泉も、それに詰まらなさそうな顔で付き合うキョンも、団長席に踏ん反り返っているハルヒも、何よりメイド姿で甲斐甲斐しくお茶を淹れて回るみくるの姿も見えなかった。
「だ、誰も居ないのかい……?」
 今日は休みなのだろうか? いや、みくるには部室に顔を出すと伝えているのだ、それならば携帯にでも連絡がある筈。だがポケットに入れていた携帯が震えた覚えは無い。ポケットから携帯を取り出して開いてみても、やはり着信もメールも無かった。それに、と鶴屋さんはもう一度室内を見回した。違和感――そう、部屋が雑然としているのだ。活動を切り上げて帰ったのならば机の上にオセロの盤を広げたままになどしておかないだろうし、あの几帳面なみくるが湯飲みを放置して帰ったりはしないだろう。何より。その湯飲みからは、未だ微かに湯気が立ち上っているのだ……!
「マ、マリー・セレスト号っ!?」
「……違う」
 ……即座に冷静なツッコミが返って来た。
「もうっ、有希にゃんはつれないねぇ。人が折角気分出してるのにさっ」
 そう。部室の奥、窓際の定位置に置かれた椅子には、いつ見ても変わらない姿で長門が本を読んでいた。鶴屋さんの非難に長門は僅かに顔を上げると、
「……正確にはメアリー・セレスト号。マリー・セレスト号とはメアリー・セレスト号事件を元にしたアーサー・コナン・ドイル作の小説における名称」
「そっちに対するツッコミかいっ!?」
 てっきりみくる達の行き先についてかと期待していた鶴屋さんは思いっきりコケた。鶴屋さんのツッコミ返しを平然とスルーして読書に戻ろうとした長門は、そこで何を思ったかゆっくりと室内を見回し、
「……だが、貴方の発言が湯飲みの内容物の温度が保たれていることに起因するのであれば、それで正しい」
「そ、そうかい。そいつはどうもありがとさんね……」
 やや引きつった顔でそう鶴屋さんが言うと、長門は返事をするでもなくゆっくりと視線を本に戻した。ほんとページ捲る以外は微動だにしない子である。姉御肌の鶴屋さんにしてみれば、まともに授業に出ているのか心配になるところだ。
「ああ、じゃなかった」
 珍しい長門のボケに危うく本題を忘れるところであった。
「ところで、みくるやハルにゃん達は何処へ行ったんだいっ?」
 勝手知ったる部室である。躊躇いも無く入室すると、いつもの定位置に腰掛けながらそう長門に尋ねた。自分の邪な意図を察知して逃げたみくるを皆で追い駆けでもしている――という訳でもないだろうし、暫くすれば戻ってくるだろう。部屋の状況を見ればすぐに帰って来そうな雰囲気ではあるし、長門に聞けばいつ戻ってくるのか、秒単位まで正確に答えてくれそうである。
 しかし、鶴屋さんの期待に反して、返答までには短い逡巡があった。
「……少し出かけている」
「んっ? 何処にさっ?」
「……詳細は不明。約一時間後に戻るとしか聞いていない」
 長門にしては今一つ要領を得ない答えだった。それに小一時間も留守にするというのに、あの律儀なみくるから何の連絡も無いというのも解せない話だった。試しにみくるの携帯に連絡を取ってみる。暫くして機械的な女性の声。――お掛けになった電話番号は、電波の届かない地域に居るか電源が入っていないため、お繋ぎ出来ません――。鶴屋さんはアナウンスを最後まで聞くことなく携帯を閉じた。
 こんな状況には覚えがあった――未来がらみの件にみくるが関わっているときだ。
「んー。またキョン君と一緒に面倒なことにでも巻き込まれてるのかねっ」
 鶴屋さんはそう言って嘆息した。彼女はみくる――延いてはSOS団のメンバーの素性を凡そは理解していた。だからキョンが過去のみくるをみちると偽って引き合わせたときも快く匿ったし――彼女が抱える事情に対して、自分に出来ることがそのくらいであることも、理解していた。こんなとき、自分が彼女を心配する以外、何も出来ないことも。はぁ、と珍しい溜息を吐いて、鶴屋さんは額を机に押し付けた。
 ……ふと視線に気付いて顔を上げると、いつの間にか長門がじっとこっちを見ていた。相変わらず変化の無いその顔から表情を読み解くことは難しかったが、何か言いたそうにしていることは何となく分かった。
「ちょっと聞くんだけどさっ。有希にゃんがここでのんびりしてるってことは、みくるが危ない目に遭ってるって訳じゃないんだよねっ」
「――ない。安心していい」
「ならいいさっ。事情は言わなくていいよっ有希にゃんにも色々あるだろうしねっ」
「……そう」
 平坦な声音でそう呟いて、何事も無かったかのように長門は再び本に目を落とした。もしかして自分を安心させようとしてくれたのだろうか。
「ありがとねっ!」
「……例を言われるようなことはしていない」
 何処かぶっきらぼうな返答は、照れているからか。鶴屋さんは微笑した。

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