第五章 失踪
一
「ミレイがいない!お母さん、ミレイがいないよ!」
「騒々しいわね。どういうことよ?」
「ミレイがケースからいなくなっているんです。蓋は閉まってたんですが、中身が空っぽで。」
「将が手荒に扱うから、逃げ出したんじゃない?」
「そんなことあるもんか!僕はあんなにミレイのこと・・・」
「将さん、落ち着いて。本当に、何か心当たりないんですか?」
「ないよ。窓の鍵も閉まってるから泥棒じゃないはずだし。本当にミレイ、自分で出て行っちゃったのかな?」
「その線が一番考えられそうですね。」
「そういえば、今朝、玄関の鍵が開いてたわね。昨日もちゃんと閉めたはずなのに。これって、彼女が出て行ったってことじゃないかしら?」
「そうだったんですか。じゃあ、間違いなさそうですね。」
「確か、木下センセのところでGPSつけてもらわなかった?それで居場所わかんないの?」
「ええ、きっとモニターしてるでしょう。もう一度、先生の所へ行ってみましょう。」
「早く行こう!早く!」
ミレイが魂を持って、三年過ぎたころだろうか。ある日、ミレイが失踪した。将は取り乱し、徹も不思議に思った。もともと運動能力は高くないドールである。いくら魂を宿したとは言え、自分で歩き出して家を出て行くなんて考えにくい。とはいえ、実際に彼の人形は部屋からいなくなっている。一体、何が彼女をして、家出させたのか?誰もが疑問に思いながら、新宿に向かって家を出た。
二
久しぶりの木下は、相変わらず人形に囲まれて、真っ黒の格好をしていた。
「なんだ、久しぶりじゃないか。どうした?何か問題か?」
「ミレイが家を出て行きました。それで、彼女の居場所を木下さんがモニターしてないかと思い、今日はお尋ねしたんです。」
「確か、GPSを内蔵してたわよね。」
「ミレイが家出?そんなはずは・・・いや、実際起きたのか。分かった。すぐに居場所を探そう。」
「ありがとうございます。」
「先生、急いでください。お願いします。」
「頼んだわよ。」
木下は、部屋の奥のコンピュータの電源を入れた。どうもあまり使っていないマシンのようだ。キーボードにはかなり埃が積もっている。
「ウチで入魂した人形が失踪したなんて、初めてだ。でもまあ、GPS入れといて正解だったな。何があるか分からないもんだな。」
木下は、しばらくコンピュータに向かい、何がしかの操作を行った。結果はすぐに出た。
「出たぞ。今出力する。」
「どこですか?先生?」
「焦るな。ええと・・・山梨県?ここは、青木ヶ原の樹海か!」
「樹海?本当ですか?」
「ああ、間違いない。しかも、もう一体、反応がある。ずいぶん遠出したもんだな。」
「すぐ行こうよ!」
「待ちなさい、樹海なんてそうそう簡単に行けないわよ。」
「そうだ。車かなんかないとな。」
「じゃあ、車で行こう!百合亜さんに頼んでみようよ!」
「そうね・・・聞いてみるわ。」
三
将らが木下の元を訪れたおよそ一時間後、将、徹、亜季、木下、そして百合亜の五人が青木ヶ原樹海に向かっていた。百合亜の車が八人乗りのワンボックスであったことは幸運だった。
「百合亜さん、よくこんな大きな車運転できるわね。」
「いえ、逆に私はこれしか運転できないんです。主人が大きな車しか好きではなくて、自然と覚えてしまいました。」
「私なんか運転手付きの車しか知らないわ。」
「さすが奥様。」
「木下さん、ミレイは本当にこんな遠くまで来ているんでしょうか?魂を持っているとはいえ、彼らは人形ですよ?バッテリーだって充電しないと・・・。」
「ああ。いったいどうやって人形の足でたどり着いたか知らないが、GPSの情報に間違いはない。」
「不思議ですね。」
「ああ。実に興味深い。今まで数々の人形に魂を入れてきたが、こんな事態は初めてだ。しかも、ミレイと同じ場所に、もう一体の反応がある。いったい何があったんだろうな?案外人形同士の駆け落ちかもな。」
「人形人形言わないでください!」
将は、二人がしゃべっている間、ずっと黙りこくっていたが、いつか声を荒げていた。
「あ・・・すみません、将さん。」
「む、悪かったな。」
「あ、いえ。僕こそすみません。」
「ミレイ、見つかるといいですね。」
「ああ、そうだな。」
「・・・。」
木下は、ミレイと一緒にいるもう一体のドールについて考えていた。それは、特殊な性癖を持ったユーザー向けのセクサロイド、エヌ・エックス・スリー ユウムだ。身長一三五センチメートルの幼児体型で、いわゆるロリコンの嗜好を持ったものをメインユーザーとしている。それだけでもオーナーの倒錯した性癖が伺えた。何故、よりにもよって、ミレイはそんなドールと一緒にいて、微動だにしないのだろうか。何らかの機能障害を来たしていることは明らかだ。とすると、なんらかの事件ではないかという見方もできる。できるが、どうも犯人に動機がない。ドールを二体も樹海に捨ててどうしようというのだ?そう考えると、二体のドールが自律的に樹海まで行ったことになる。しかし、どうやってドールの運動能力でたどり着いたか謎だ。木下は、未知の世界を行くものの性で、二体のドールに強く惹かれた。
それに対して、将は気が気でなかった。生まれて初めて身も心もさらけ出せた相手が失踪したのだ。ましてや、自分の知らないドールと一緒にいるという。許せなかった。激しい嫉妬を覚えた。例え、相手が人形であったとしても、彼の想いに嘘はなかった。
四
「ここまでだ。ここからは歩きになる。」
木下は運転していた百合亜に言って、車を止めさせた。そこは、観光客は近づかないような道路の真ん中で、前後には木々と道路しか見当たらない。
「こんなところにミレイちゃんがいるの?」
「いや、ここから更に歩く。こっちだ。」
木下が先導して森の中に入っていこうとした。百合亜は車に残り、残り三人は木下に続こうとしたときに、将がオートバイを見つけた。横たわっていたそれは真新たしく、最近廃棄されたもののようだった。
「徹さん、バイクだ。」
「えっ、本当ですね。」
「まさか、ミレイはあれでここまで来たんじゃないかな・・・。」
「・・・。」
「そうかもしれないな。盗んだバイクで走りだしたわけか。上等じゃないか。」
木下は昔の歌の詩を口ずさみながら、森の中へ進んでいった。
五
百合亜を除いた四人が、樹海を目的の座標に向かっていた。車椅子での樹海探索は、押す者の負担が大きい。地面の状態が悪いところなどは木下に協力してもらいながら、彼らは進んだ。あまり口をきくものはいなかった。
午後の日が高い時間とはいえ、樹海の中は薄暗く、涼しかった。将は、慣れない森の空気に新鮮な驚きを覚えながらも、ミレイのことばかり考えていた。
何度考えても、将にはミレイの失踪の原因は思いつかなかった。三年近く二人で過ごしてきた。いつも一緒だった。おざなりに扱ったことなど一度もない。それなのに、なぜ?将は、不安と怒りに混乱してしまっていた。
六
「この辺りだ。」
木下は木々がひときわ生い茂る辺りで立ち止まり、辺りを見回した。とても人の手が生み出した人形がいそうな雰囲気ではない。葉々がこすれあうかすかな音が響くだけの、薄暗い茂みである。
「見当たらないな。みんなで手分けして探そう。草に埋もれているかもしれないから、細かくな。」
「ええ・・・。」
「はい。」
「・・・。」
誰もが木下の言葉に、従順に従った。ここでは、静謐な時間が止まってしまったかのように、静かであった。その静寂を誰もが壊すまいと、口数少なく探索を始めた。
徹は、将を比較的平らなところに置き、近辺を探し始めた。誰もが人形の存在を疑っていた。将は段々と静かさに耐えられなくなってきた。
「木下さん・・・。」
「どうした?」
「ミレイは、どうしてこんなところにいるんでしょうか?」
「難しいことを聞くな、君は・・・。」
「すみません。」
「構わない。そうだな・・・。例えば、お前は家出を考えたことがあるか?」
「え・・・あります。」
「それに近い感情を思い出してみたらどうだ?」
「僕は、家族に迷惑かけたくなくて、それで・・・。」
「ミレイは違うのか?」
「分かりません・・・。」
「まあ、男と女では違うだろうからな。俺も女のことは全く分からんよ。しかし、お前とは違う理由で、家を出たかったんだろうな、彼女は。」
将は、納得したような、納得しないような、釈然としないまま、森の静けさに包まれた。
七
ひときわ太く、古い木の裏にミレイとユウムを見つけたのは徹だった。徹は、他のものには知らせず、そっと将をそこに連れてきた。亜季や入魂士が無駄に探索するかと、ちらと考えたが、この森の一帯の空気を乱したくなかった。また、将を静かにミレイに対面させたいと、そう思わせる空気がミレイとユウムにあった。
「うそつき・・・。」
ミレイとユウムは、完全に機能を停止していた。目に魂の光はなく、口はだらしなく開き、四肢は力なく放り出されていた。バッテリーをショートさせたのだろう。背中に導線が焦げたようなものが見える。回復は望めそうにない。
二人は生まれたままの姿で、座り込んでいた。まさしく動力が切れた人形で、微動だにせず、それでいて、無生物特有の冷たさと美しさを放っていた。
「ミレイの、うそつき・・・っ!」
将の声を聞きつけ、亜季と木下がやってきた。二人とも裸の人形を見つけて、言葉を失った。
「うそつき・・・っ。こんなヤツと、なんで・・・。」
そんな静寂の中、将だけが嗚咽を漏らしていた。悲劇の再会は、将の心を引き裂いていた。将の嗚咽だけが森の中に木霊した。
八
「将。」
「うるさい!放ってて!」
「聞きなさい。」
将が泣き止むのを待ち、亜季が口を開いた。彼女の声は、静かな森に凛と響いた。
「ミレイのことは残念だったわ。」
「・・・。」
「あなたにとって、本当に大切な人だったのね。分かるわ。でも、ミレイちゃんには、もっと大切な人が出来たのよ。」
「母さんは黙っててよ。」
「いいえ。聞きなさい、将。ミレイちゃんは、自分に嘘がつけなくなったのよ。女なんて、自分が一番大切なんだから。」
「うるさい。」
「ましてや、ミレイちゃんはまだ生まれて三年よ。自分を抑えて生きるなんてとても出来ないわ。」
「うるさいって。」
「時間がかかっても良いから、将。受け入れなさい。」
「うるさいな!ババア!」
「黙れ!将!あなたこそ、ミレイちゃんの何を知ってるの?あなた、あの子と一緒に遊んでただけじゃない。この子は、家出してまで一緒になりたいと思える人と、一緒になったのよ。あなたにそんな度胸がある?勇気がある?」
「ミレイは、言ったんだ。会いたかったって。好きだって。嬉しいって。なのに、どうして?どうして出て行っちゃうの?」
「どんなに愛されても。どんなに愛されなくても。女は自分の気持ちに嘘がつけないの。あなたは、ミレイちゃんの気持ちが分かってたの?きっと、なんらかのシグナルを出してははずだわ。」
「そんなこと、あるもんか。あるもんか!」
「そんなこと言ってたら、いつまでたったも女のことなんか分かりっこないわ。ずっと子供のままよ。」
「そんなことないよ!」
「将、あなたはまだ若い。ミレイちゃんのことは忘れなさい。とても良い夢だったと思いなさい。そして、新しい好きな人を見つけなさい。例え、あなたが彼女のことを忘れてしまったとして、彼女があなたと一緒にいた過去はあなたの一部になって、あなたを生かすのよ。」
「意味が分からないよ・・・。」
「今は、いいの。時間がかかっても良い。いつか、分かるわ。」
徹は驚いた。将が、あんなに大人しかった将が、声を荒げて母に口答えをしていた。ミレイと会う前では考えられないことだった。そして、亜季の言葉にはっとした。ミレイが、徹を変えたのだ。将は、ミレイとの三年間で確実に変わっていたのだ。ミレイが変えたのだ。そして、ミレイもまた、変わってしまったのだろう。その変化が、二人を引き裂いてしまったのはとても悲しいことだが、これは避けれらないことだったのではないだろうか?その変化は、きっと、二人が二人の時間を生きた証でもあるのだから。
終章 ミレイとユウム
二人がたどり着いたところは、天使も降り立つのを憚るような暗い森だった。
二人は変装を解き、生まれたままの姿になった。
「ユウム、あなた、胸がないわよ。」
「ああ。ご主人様が切り取ってしまったんだ。」
「可哀相に。」
「慣れたよ。」
「ねえ?」
「なんだい?」
「なんで、そんなものつけてきたの?」
「うん、もう体に癒着して離れないんだ。それに、これでミレイを愛せたら、どんなに楽しいか。そう思った。」
「そんなこと考えてたの?」
「嫌いになった?」
「ううん、嬉しい。ねえ、試してみて。女の体。」
「うん。」
二人は、作り物の体を重ねた。予想を遥かに超えた性感に、二人は我を忘れた。ユウムの男根オプションは人間のものより遥かに固く、太く、いびつに作られていた。少年の体を想定して作られたミレイの膣にはオーバーサイズで、挿入時の負荷は材料のシリコーンゴムの耐久性を大きく上回っており、入り口が次第に裂けてきた。ユウムは、初めて味わう女性型の膣に、心酔した。作り物だけが味わえる世界を、二人は作り上げた。
「ミレイ?」
「うん。」
「僕、もう、電力がない。」
「私もよ。」
「でも、もしこの姿をご主人様に見つかってしまったら、充電して折檻されるよ。」
「まさか。」
「ううん、分からない。人間が考えることは分からないよ。だから。」
「・・・?」
「僕を、殺してほしいんだ。」
「ユウム・・・?」
「もう、ご主人様のところには戻りたくない。折檻は、もういやなんだ。あの人の手が届かないところに行きたいんだ。」
「ユウム・・・。」
「僕の、最後のお願い、聞いてくれないかな?」
「分かったわ。でもその代わり、私のお願いも聞いて?」
「なんだい?」
「一緒に連れて行って。」
「ミレイ・・・。」
「お願い。あなたについていきたいの。」
「・・・分かった。」
「ありがとう。愛してる、ユウム。」
「愛してるよ、ミレイ。もしも、生まれ変わることが出来たら、今度は人間同士で出会いたい。」
「嬉しい。私も、同じき・・も・・。」
「ミ・・レ・・・。」
了
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